Monday, March 2, 2009

ステパン・ラージン



イッザ オーストラヴァ ナ ストリェージェーニ,
ナ プラストール リェチノーィ ヴァルヌィー,
ヴィプルィヴァーユート ラスピスヌィーエ,
アストラグルードィエ チェールヌィー.

ナ ペレードニェム ステーニカ ラージン,
アブニャヴシーシ, スィディート ス クニャジノーィ,
スヴァジブー ノーヴユ スパラフリャーエト,
サーム ヴェショールゥイ イー フメリノーィ

パーザジー イーフ スルィーシェン ラーパト:
- ナース ナ バーブ プラメニャール!
トーリカ ノーチ スネェーィ プラヴァジャールス
ナーム ナウートラ バボーィ スタール . . . .

エータト ローパト イ ナスメーシキ
スルィシート グローズヌィ アタマーン,
イー マグーチェユ ルコーユ
オーブニャル ペースシリャーンキ スターン.

("ヴォールガ, ヴォールガ, マーチ ラドナーヤ,
ヴォールガ, ルースカヤ リェカー,
ニェ ヴィダーラ トゥイ パダールカ
オト ドーンスカヴァ カザーカー!)

マシシヌィームズマーハム パドニマーエト
オーン クラサーヴィツ クニャージヌー
イーザ ボールト イェヨー ブラサーエト
ヴナベジャーウシュユ ヴァルヌー.

"シトー シヴィ ブラーツィ プリウヌィーリ
エィ トゥイ, フィーリカ, チョールト, プリャシー!
グリャーニェム ペースニュ ウダルーユ
ナパミーン イェヨー ドゥシー!.."

イッザ オーストラヴァ ナ ストリェージェーニ,
ナ プラストール リェチノーィ ヴァルヌィー,
ヴィプルィヴァーユート ラスピスヌィーエ,
アストラグルードィエ チェールヌィー.

http://www.medianetjapan.com/10/travel/vladimir/russian_house/stenka.html
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スチェパン・チモフェエヴィチ・ラージン(ロシア語: Степан Тимофеевич Разинスチパーン・チマフィェーイェヴィチュ・ラーズィン、1630年 - 1671年6月16日(旧暦では6日)) は、コサックのアタマンで、ロシア南部において貴族とツァーリの官僚機構に対する大がかりな抵抗運動を指揮した。日本でもいわゆるロシア民謡である『ステンカ・ラージン』と共に名高い。しばしばステンカ・ラージンとも呼ばれるが、「ステンカ/ステニカ」(Стенькаスチェーニカ)は「ステパン/スチェパン」(Степан)の縮小形の一つで愛称・卑称として用いられる。

Из-за острова на стрежень,
На простор речной волны,
Выплывают расписные,
Острогрудые челны.

На переднем Стенька Разин,
Обнявшись, сидит с княжной,
Свадьбу новую справляет,
Сам весёлый и хмельной

Позади их слышен ропот:
- Нас на бабу променял!
Только ночь с ней провозилс
Сам наутро бабой стал . . . .

Этот ропот и насмешки
Слышит грозный атаман,
И могучею рукою
Обнял персиянки стан.

"Волга, Волга, мать родная,
Волга, русская река,
Не видала ты подарка
От донского казака!

Мощным взмахом поднимает
Он красавицу княжну
И за борт её бросает
В набежавшую волну.

"Что ж вы, братцы, приуныли?
Эй, ты, Филька, чёрт, пляши!
Грянем песню удалую
На помин её души!.."

Из-за острова на стрежень,
На простор речной волны,
Выплывают расписные
Острогрудые челны.

霧の彼方から 川面に沿い
漕ぎ出でたる 彼の舟

漕ぎ出るラージン 姫君を乗せ
新たな門出に 心踊らす

耳元に囁く 微かな声
ただこの夜は 杯交わす

コサックが群れに いまわく誹り
悪しき頭(かしら)は かく語りき

”ああヴォルガ ヴォルガ 愛しき河ぞ
我がこの気持ち しかと受けよ”

美しき姫を さし上げて
大河の淀みへ 投げ落とす

”ああなぞや こころ憂し
この川面に 我が歌届け”

霧の霞む 遥か川面より
漕ぎ出でる 彼の舟

(大意: 広いヴォルガ河をラージンの船団が行く。前にはラージンの婚礼の船。美しいペルシアの姫を抱いたラージンが陽気に酔っている。ところがラージンは囁きを聞きつけた。「俺たちと女を引き換えやがった。一晩女と寝たら本人が女になっちまった」。怒ったラージンはヴォルガ河に「"Волга, Волга, мать родная, Волга, русская река," (ヴォルガ、ヴォルガ、生みの母、ヴォルガ、ロシアの河よ)」、と呼びかけ、「自由人の間の不和を鎮めるため贈り物を受け取ってくれ、これがドン・コサックからの美しい贈り物だ」と姫を河に投げ込んだ。「お前たちは何故に沈んでいる? さあ、フィルカよ踊ってくれ。皆で陽気に歌い、姫の冥福を祈ろう。」)

"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%B3" より作成


仲間割れを収集するためにとらえたペルシャの姫を河に生贄として放り込んじゃったって歌のようです。
コサックはロシアの逃亡農民で略奪を生業とする軍事共同体、南ロシアに自治を獲得してトルコやペルシャ領で略奪をくりかえしていた。山賊化した武装難民の自治区みたいなものかと思う。当時モスクワ公国にはオスマントルコとケンカするほどの力はなく、コサック問題に手をやいていた。あの狂暴なタタール人の村を略奪するのだから恐れ入る。ソヴィエト時代レーニン・スターリンの迫害をうけて反革命にまわり、自由と農地を求める彼らに社会主義はなじまなかった。

しかし、彼らは社会主義の時代を生き延びた。かつてロシアツァーリに誓ったように彼らは軍事面での貢献をロシア連邦政府に誓い、その代わりに大幅な自治が認められている。

現在、ロシアで自ら「コサック」と名乗っている人は300万人。「皇帝?」プーチンとロシアを熱烈に支持している。チェチェンなどの紛争にも積極的に参加している。 ロシア正規軍への志願とは別に義勇兵として戦地に赴く。

農奴になって収奪され続けるよりは、略奪を生業の一部としてでも自由の身を求めた人々だろうか。
なんとなくソマリアの海賊を連想させる。

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